5:ミネストローネ
居心地がいい場所とはなんだ?
生まれた土地か。
住み慣れた街か。
言葉が通じる国か。
自分を育て、慈しんでくれる人の傍か。
答えは要らない。
そんな定説 要らない。
5.出来立てのミネストローネに醤油をご投入
「お兄さん、私に情報を売りませんか?」
「断る。」
私の提案は、あっさりと却下された。
それぐらいでへこたれる人間ではないので、私は構わずに傍らに置いていた鞄の口を開けて中身を地面に並べだす。
ハンカチ・ティッシュに始まり、化粧ポーチに小物入れ、髪飾りを数個と教科書・辞書(こんなの物を持っていたなんて!)、筆箱、鏡、携帯ストラップが数個、板チョコを含めたお菓子とタオルにペットボトル。救急セットにメモ帳。MDウォークマンとMDを数枚、USBメモリ(使えないけどストラップが可愛かったから)空の弁当箱はさすがに出さない。
あらかたの荷物を並べて男のほうへ視線を上げると、案の定、彼は困惑の色を強くして立ち尽くしていた。
未知の物を眺める視線に、私は内心でほくそえんだ。
どういう意図があったにせよ、私を見殺しにしなかった時点でこの人は『いい人』というわけだ。
「私はお金を持っていないので物々交換といきましょう。
ただし、私の情報も交換の対象になりますから、忘れないで下さいね。」
できる限りの笑顔を浮かべて自分の前に並べたそれらを指し示すと、男は驚きを露わにして口を開く。
「な、何で俺が―」
「さっきの人は話が通じるタイプじゃなかったじゃないですか。
私は『生きるための情報』が欲しいんです。命をくれちゃうわけにはいきません。ですから、ただ教えてもらうだけでは忍びないので・・・思い切って交換をしようかと。」
抗議の声を遮った私の説明に、男の人は心底迷惑そうな顔色を浮かべる。
しかし私は、鞄の中身に対する彼の好奇の視線を覚えている。残念ながら、彼の虚勢は徒労に過ぎないのだ。
断片的に覚えている男の口調からその気質を推測し、私は口元の微笑みを残したまま眉を困ったように軽く顰めてみせた。
「・・・すみません、最低限でいいんです。
とりあえず今ここで野垂れ死になら無い程度のことを教えてください。」
「・・・・・・・・・・・・」
「お願いします。」
懇願&低姿勢。
それでも、自分の主張は貫き通す。
もしここで彼に断られても、私は何が何でも彼について行くしかないのだ。助けてくれたのだからその責任くらい負ってもらおう。
そして街に着くまでに最低限のことを聞き出すなりしなければ、私は干からびるのみになる。
・・・いざとなったら身売りなりなんなりで命は継げそうだけれどさすがにそれは嫌だ。
・・・そ、それはちょっと勘弁だ。
ありとあらゆる想像をしていく脳が少し恨めしい。
情報化社会は脳みそに不穏な世界情勢を無駄に詰め込んでくれている。
長く感じる数秒を経て、男の人は大きく息を吐いた。
「・・・何が知りたいんだ?」
向こうが折れたぜ!
やったね♪
「まず先に、私が本当に何も知らないことを言っておきます。
馬鹿な質問をしても見捨てないであげてください。」
「・・・」
「なんですか、その訝しげな目は・・・」
私だって、自分が怪しいことぐらいわかってるさ!
男の人は私に待つように言い、いきなりとりだした白い入れ物を辺りにひっくり返した。
立て続けに3本。
私がそれは何かと聞くと、「敵に会いにくくなる。」とだけ答えた。
・・・不思議〜
「これはなんだ?」
目の前に腰を下ろした赤毛のお兄さんは、英語の教科書を無造作に拾い上げた。
「私の国の学校の教科書です。それと、この3冊も教科書ですね。内容は違うけど。」
彼が持っている教科書に重ねるように数学と化学と国語も追加する。
大きさがばらばらなそれらを注意深く眺めて、そしてぱらぱらと中身を捲る。
「詳しく聞きたいですか?欲しいですか?どっちもですか?」
「見たことのない字だな・・・」
「あ。」
字は、共通じゃないのか・・・
言葉は通じているくせに。
「うーん、とりあえず内容としては、順番にこの2冊が『語学』の本、もう一つはーあー・・・物質についてですかね。物が錆びたり物を溶かしたり、混ぜたり、とか載ってます。
もう一つは計算や数式などの論理的なことぐらいですね。
私の国の文字なんで・・・しまったなー・・・結構いい材料になると思ったのに。」
材料というのは、彼との交換材料だ。
勿体無いかもしれないが紙という資源として取引しよう。
こんなところで思惑が外れるなんて気が重い・・・!
頭の中でうだうだと外れた思惑についてくだを巻いていると、男の人はいつの間にか英語の教科書を開いて中身を熟読していた。
美人だ美人だとは思っていたけど・・・真剣な表情で目を滑らせていくその横顔に、つい胸がときめいてしまう。
うーん、私も若いなぁ。
「・・・どういう法則だこれは?」
「え、ああ。私の国の文字は大きく分けて3つあるの。
ついでにそれは別の国の言葉も混ざってて、わかりにくいと思うよ。」
教科書から視線も上げずに投げかけられた問いに答えながら、私は筆箱からシャーペンを取り出して彼のほうへ身を乗り出す。
わざわざ体を反らしてくれる彼には目もくれず、文字にくるくると印をつける。
「これが、私の国の文字で『漢字』『カタカナ』『平仮名』。
これが、外国の文字の『英語』。
その教科書は、英語を簡単に理解するためのものなの。」
文面を注視している彼は真剣そのものだ。
さっきの質問から鑑みると、この人は見たこともない字の羅列に共通性や法則性を探しているようだ。
中々勤勉な人である。
私にはとても真似できない。
「・・・・・・・・・さっぱりだな。」
ものの数分で解読できるほど我が母国語は甘くはなかったようだ。
「別料金でよければ一通りの『平仮名』と『カタカナ』を教えますよ〜」
「そんな暇はない。」
チャンスに売り込もうとした私の言葉は一蹴されることになった。
結局彼は、国語の教科書とノートを一つと髪飾りを二つ、それと飴を三つほど選んだ。
飴に関しては、今まで食べたことがない味だったらしい。
ちなみに小梅味。
そして私は代わりにこの世界の情報を教えてもらう。
通貨、それに対応する物価、マルクト・キムラスカ両国の国家間の情勢、ローレライ教団、この世界の治安、交通手段、旅券の存在・・・。
聞けば聞くほど私の世界とはかけ離れている。
それらを手帳にモリモリ書き加えながら、私は頭を押さえた。住民票とかの有無ははっきりしなかったから、適当な町で腰を落ち着かせることも可能だろう。生きて、辿り着けばだが。
彼に見せてもらった世界地図に、軽く眩暈がした。
端から端まで見たこともない大陸に、聞いた事のない地名・町名のオンパレードだ。そもそも字が読めなかったから爆笑だ。
こっちの文字はグネグネしててまったくわからない。アラビア語か。
私は、帰るまで、なんとかこれらを理解しなければならないのか。
あははっ頭痛いな!
さっきの彼の言葉ではないが、さっぱりだ。
しかも、不審の目線が強いし。
とても澄んでいるエメラルド系統の宝石を思い出させる瞳に、直視されるのは照れるってもんです。
茶化してみても緊張する度合いは変わらない・・・
これが親愛以上の感情の篭った熱視線だったら大喜びだけど、あからさまに人外のものを見る目だと流石にへこむ。
「・・・はーっ・・・私の国とは随分違いますね。」
極力、その視線と目が合わないように尽力を尽くしながら、私は手帳を閉じる。
ついでに目の前のお兄さんには、ちょこっとだけ日本のことも話している。
そのお陰の、この視線なのだろうけど。
「お前は・・・一体どこから来たんだ?」
「私の母国は日本です。
・・・何があって、私がここに来たのかは、私にもわかりません。」
何度も言っていることを再三繰り返す。
だって、それが事実なのだ。
隠匿しなければならないことでもない。
深く肺の底から空気を押し出して、私は軽く頭を掻いた。
とりあえず、とりあえずは。
「・・・お兄さん、お願いします。」
身近な『救世主』であり『生け贄の羊』な彼に頭を下げる。
不快に思われようが、疎ましく思われようが関係ない。
「私を、人のいる街に連れて行ってください。」
生死を分ける一言だ。
案の定、目の前の彼は苦虫を噛み潰したような顔をする。
だって私は、死にたくなどないのだ。
一蓮托生、死なば諸共。
旅は道連れ。
なんて素敵な言葉だ。わかりやすい。
だって、私は、死にたくなどないのだ。
彼には諦めて貰うしかない。
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2007/02/15
巻き込まれ確定。巻き込み確定。生を謳歌せよ。浅ましくとも生き続けろ。
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